【苦手な人向け】3分でわかる日本の歴史 弥生時代②

学び

コアラ
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ここでは、日本史が苦手!という学生や

学びなおしたいけど、分厚い本はちょっと…という社会人の方に

とにかく簡潔にわかりやすく日本史を学んでいくよ!!

本日のポイントはこちら!

① 大規模な環濠集落かんごうしゅうらくの登場!(ほりに囲まれた集落のこと)

② 日本の歴史の手がかりは中国の歴史書に!

③ 邪馬台国やまたいこく卑弥呼ひみこ

吉野ケ里遺跡(佐賀県)などの大規模な環濠集落

弥生時代の中期には、争いがあったことがわかる痕跡が数多く残っています。

おそらく集落ごとに争いがあったのでしょう。

佐賀県の吉野ケ里遺跡よしのがりいせきのような大規模な環濠集落も登場しました。

吉野ケ里遺跡のようす:佐賀県提供

このような力を持った集落は、周囲の小さな集落をまとめていきます。

そして、クニとよばれる政治的なまとまりをもつようになっていくのです。

弥生時代の日本の状況は中国の歴史書に!

まずはじめに歴史上に日本の記録が残されたのは、『漢書』地理誌の中でした。

それ楽浪海中に倭人わじんあり、分かれて百余国と為る。歳時をもって来り献見すという。

『漢書』地理志

これは中国王朝である前漢王朝の歴史書『漢書』の一部です。

そこには日本が100ぐらいの小さいクニに分かれていたと書かれています。

さらに、当時日本は「」と呼ばれていたこともわかります。

次に見ていきたいのは、『後漢書』東夷伝です。

建武中元二年(57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす

安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う。

桓霊の間(とう47〜189年)、倭国大いに乱れ、更相攻伐して歴年主なし。

『後漢書』東夷伝

内容としては、日本(倭と奴国)から使者が後漢にいき、後漢の光武帝から印綬を授かったことが書かれています。※この印綬は後に、福岡県志賀島から出土した金印だとされています。

また、日本からは生口(奴隷?)を後漢の皇帝に献上したことも書かれています。

次に日本が歴史書に出てくるのは、「魏志」倭人伝ぎしわじんでんです。これは一冊の本というわけではなく、

『三国志』の一部です。

邪馬台国やまたいこくが登場することで有名ですね。

邪馬台国の卑弥呼ひみこは呪術を使い、30あまりの国を治めていました。

その卑弥呼は魏に使いをおくり、魏の皇帝から「親魏倭王しんぎわおう」という称号をもらいました。

卑弥呼の死んだあとは、男の王が支配しましたが、安定しませんでした。

そこで現れたのが再び女性の王、壱与いよでした。この女王が再び邪馬台国を安定させるのです。

コアラ
コアラ

「魏志」倭人伝といえば、中国から邪馬台国へのルートが書いてあることでも有名だよね!

でも実際にそのルートが指すのが九州説畿内とあり、どちらが正しいのかいまだにわかってないんだ。どっちが正解なんだろ~、古代は謎だらけだね!

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