学びなおしたいけど、分厚い本はちょっと…という社会人の方に
とにかく簡潔にわかりやすく日本史を学んでいくよ!!
本日のポイントはこちら!
① 大規模な環濠集落の登場!(濠に囲まれた集落のこと)
② 日本の歴史の手がかりは中国の歴史書に!
③ 邪馬台国の卑弥呼様
吉野ケ里遺跡(佐賀県)などの大規模な環濠集落
弥生時代の中期には、争いがあったことがわかる痕跡が数多く残っています。
おそらく集落ごとに争いがあったのでしょう。
佐賀県の吉野ケ里遺跡のような大規模な環濠集落も登場しました。
このような力を持った集落は、周囲の小さな集落をまとめていきます。
そして、クニとよばれる政治的なまとまりをもつようになっていくのです。
弥生時代の日本の状況は中国の歴史書に!
まずはじめに歴史上に日本の記録が残されたのは、『漢書』地理誌の中でした。
それ楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国と為る。歳時をもって来り献見すという。
『漢書』地理志
これは中国王朝である前漢王朝の歴史書『漢書』の一部です。
そこには日本が100ぐらいの小さいクニに分かれていたと書かれています。
さらに、当時日本は「倭」と呼ばれていたこともわかります。
次に見ていきたいのは、『後漢書』東夷伝です。
建武中元二年(57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす。
安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う。
桓霊の間(とう47〜189年)、倭国大いに乱れ、更相攻伐して歴年主なし。
『後漢書』東夷伝
内容としては、日本(倭と奴国)から使者が後漢にいき、後漢の光武帝から印綬を授かったことが書かれています。※この印綬は後に、福岡県志賀島から出土した金印だとされています。
また、日本からは生口(奴隷?)を後漢の皇帝に献上したことも書かれています。
次に日本が歴史書に出てくるのは、「魏志」倭人伝です。これは一冊の本というわけではなく、
『三国志』の一部です。
邪馬台国が登場することで有名ですね。
邪馬台国の卑弥呼は呪術を使い、30あまりの国を治めていました。
その卑弥呼は魏に使いをおくり、魏の皇帝から「親魏倭王」という称号をもらいました。
卑弥呼の死んだあとは、男の王が支配しましたが、安定しませんでした。
そこで現れたのが再び女性の王、壱与でした。この女王が再び邪馬台国を安定させるのです。
「魏志」倭人伝といえば、中国から邪馬台国へのルートが書いてあることでも有名だよね!
でも実際にそのルートが指すのが九州説、畿内説とあり、どちらが正しいのかいまだにわかってないんだ。どっちが正解なんだろ~、古代は謎だらけだね!
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